エピオピアの首都「アディスアベバ」の街中を歩いていると、いたるところに軒先でコーヒーを焙煎している女性を目にする。そこには必ず、専用のコーヒーセットが置いてあった。それを囲むかのように一杯20円のコーヒーを飲みながら、地域の人たちがおしゃべりを楽しんでいる。
エチオピアは、コーヒー発祥の地として有力ということもあり、コーヒー文化が古くから根付いている。そんな生活と密接な関係のコーヒーは、日本でいう「茶道」のような独特の文化となってエチオピアに存在していた。
コーヒーを通しておもてなしをするエチオピア流の作法は、「コーヒーセレモニー」と呼ばれている。作法とも言われているように、コーヒーを提供する一連の流れは芸術的なものだった。
コーヒーセレモニー
コーヒーセレモニーとは、生豆から一杯のコーヒーができるまでの一連の流れのことを言う。生豆というものすら日本では見る機会がないのだが、コーヒーが名産となっているエチオピアでは、その生豆を水で洗い、薄皮を剥ぐところから始める。ホームステイした家庭にも、焙煎前の豆と焙煎後の豆が置いてあった。
見て楽しむ
小さなコーヒーカップは微妙な角度で並べられていることが多かった。その陳列方法は流行りなのか、どこも微妙な角度で並べられていたが、店によって微妙に異なっているのが見ていて楽しかった。
また、新鮮で良い香りのする草や季節の花など床に置いて、客人を華やかに向かい入れる。カップを置く台も、素敵な彫刻が施されていた。
独特なポットはなんとも可愛らしい形をしていた。注ぎ口は上部の直径3㎝ほどだけ。洗浄は大変そうだが、そのような作りがその土地ならではのコーヒーの味を作るのだろう。
感じて楽しむ
フライパンで生豆を焙煎するところから始まるので、豆の色が移り変わっていく様子やそれに応じて変化する香ばしい香りなどを楽しむ。また、この場にはお香も焚かれていた。
様々な香りが混在していていいのかなとも思ったが、このお香には「悪霊」を払うという意味が含まれているとのこと。
同時進行で、簡易的なコンロ(炭火)の上では底が丸みをおびたポットでお湯を沸かしている。
味わって楽しむ
豆を焙煎している最中は、麦やポップコーンなどの簡易的なものを食べて待つ。
焙煎された豆は臼で挽かれ、粉になったコーヒーは沸いたポットの中に直接入れて煮込まれていく。そして、陶器の小さなカップに勢いよく注がれ、晴れて一杯のコーヒーができあがる。
そして、コーヒーを飲んだら、提供者にコーヒーの感想を伝えてお礼を言う決まりがある。
街中のコーヒーショップは一杯20円という料金設定になっていたが、自宅などで客人をおもてなしする際には3杯分続けられ、最後のコーヒーには幸運をもたらすという言い伝えがある。そして客は、皆の幸せを祈りながら最後のコーヒーを飲むのだそうだ。
話して楽しむ
このコーヒーセレモニーの場は、一種の社交場のような役割も担っていた。一杯20円という気軽さもあって、一連の流れを見なくても仕事の合間にふらっと立ち寄り、地域の人たちとコーヒーを飲みながら軽く会話して数分後に戻るといった人々も多くいた。
この会話というもの、きっとセレモニーの重要な一つなのだろう。コーヒーの提供者とは自然とコーヒーの味や世間話で盛り上がっている。
そして、コーヒーの味や店の雰囲気も提供者によって変わってくる。きっとご贔屓にしている店というものもあるのだろう。コーヒーが、人々がつながる「道具」にもなっていたのだ。
正解
このコーヒーセレモニーには、厳密な「正解」というものがない。目の前にいる人に応じて、その瞬間でできる最高のコーヒーや心地よい空間を提供するのだ。だから、時代や場所によってその作法は微妙に異なっているのだ。地域によってはコーヒーに塩を入れるところもあるようだ。
唯一変わらないのは、“相手に楽しんでもらう”という目的だけ。
僕が見たコーヒーショップの女性は、コーヒーセレモニーを行いながらも、客と楽しそうに話しをしていた。そして客同士も、共通の話題で世間話に花を咲かせている。相手に楽しんでもらうためには、自分が楽しんでいることが条件の一つのように感じた。
エチオピアには、昔の日本のような男女の役割が存在していた。ホームステイした先でも、家事は女性の仕事というように今でも深く根付いていた。コーヒーショップの店員さんも、皆女性であった。
相手を尊敬し、交友関係を深める役割として一員を担っているコーヒーセレモニー文化。そして、縁起を担ぐ上でもこのコーヒーセレモニーは重要な枠割を果たしている。
相手に楽しんでもらう
日本から遠く離れたここエチオピアという国でも、相手をもてなし、相手を喜ばせたいという思いが文化として、昔から脈々と受け継がれてきていることを知った。おもてなしの基本には「相手に楽しんでもらうこと」がある。
その根底には「感謝」が存在するのだろう。そして、その目的のためなら柔軟に作法を変えていくというスタンスが面白い。方法という習慣にとらわれず、目的を見失わずにいるエチオピアのコーヒーセレモニー。
これが本当の「おもてなし」の形かもしれない。
僕は「茶道」を深く知らないが、日本の誇るべき大切なおもてなし文化の一つだと理解している。そのような素敵な文化を、より身近なものとして生活の中に落とし込みたいとも思った。海外では日本の「抹茶」が強いブランド力を発している。
そのような抹茶との付き合い方を見直すこと、伝統とされているものの価値を見直すことで、日本らしさに磨きがかかるのだろうと、エチオピアのアディスアベバという場所で感じた。
目の前には、かっらとした日差しが大地を照らし、たくさんの品物を抱えた物売りが声を張りあげ、世間話しで盛り上がりながら一杯20円のコーヒーをすする人々で溢れていた。
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