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O.U.R. Ecovillage滞在記  一つの団結した資源

アントニ・ガウディの建築や生き方に魅了されたスペイン。

ガウディは自然を「師匠」としていた

 

そのスペインから飛行機で15時間。僕は次なる目的地、カナダのブリティッシュ・コロンビア州バンクーバー島にいた。そこにはO.U.R. Ecovillageがあり、そこで約10人の住人と4人のボランティアと共に3日間を過ごした。

 

O.U.R. Ecovillage 共有スペース

 

O.U.R. Ecovillage

O.U.R. Ecovillageとは、ブリティッシュ・コロンビア州のショーニガン・レイクの近くにある25エーカーのエコビレッジである。ここは、社会的、生態学的、経済的な幸福に根ざした持続可能な村落モデル・デモンストレーションを実現するビジョンを1999年に掲げ、スタートした。

また、持続可能なコミュニティ生活の推進を図り、パーマカルチャーを実践したいと考える人々のための教育プログラムを受講できる教育機関でもある。

壁の中を見ることができる

行き方

バンクーバー島のVictoriaからTOFINO BUSに乗り、Mill Bayで下車。そこからは、O.U.R. Ecovillageのボランティアとして3ヶ月前から滞在していたブレイクが迎えに来てくれた。

ブレイクは数年間、静岡県で英語を教えていた経歴があり、日本語の簡単なやり取りができてとても助かった。12月初旬のカナダは、積雪はなかったものの、早朝は白銀の霜が大自然を覆い尽くしていた。

 

ツアー

僕は到着して早々、代表のブレンディからここO.U.R. Ecovillageについてのツアーを受けた。25エーカーの敷地内にある施設や住居、取り組みや考え方などを聞いた。

 

見学者が分かりやすいような展示やパワーポイントを使ったプレゼンなどからも、ここから新しいパーマカルチャー実践者を排出して、地球に貢献しようとする思いが伝わってくる。

 

コミュニティと食事

ここでは、週に一回のコミュニティーミーティングによって、生活に必要な事項の担当や役割を決めたり、連絡・相談等をして回っていた。僕はこのコミュニティ内で薪割りや、牛・羊・山羊・犬・鶏の世話を手伝った。

食事担当者は、10分前に専用の笛を1回鳴らして、もうすぐ食事の時間であることを伝える。また、準備ができたらもう一度笛を外に向かって2回鳴らす。

すると、次々に人々が集まってきて面白かった。そして、皆で手をつないで輪になり、誰からともなく「自分の名前」と「今自分が感謝していること」について話す。話すと言っても数十秒だ。自分の作業を手伝ってくれた人に感謝を伝えたり、自然の恵みに感謝したり、自分の隣にみんながいてくれることに感謝したりと様々であった。

1日3食なので、少なくとも1日に3回はこの時間がある。この時間によって自分はどんなことを感じているのかを客観視できる。何よりも、無いものを探すのではなく、あるものを探してそれに気づかされる機会にもなる。感謝するということは、あるもの探しの過程で生まれるものかもしれないと思えた時間であった。

 

ブレンディ

O.U.R. Ecovillageのボスである代表のブレンディは、よくこう言っていた。

 

「観察、観察。そして観察。」

「私たちは死ぬまで学び続ける」

 

パーマカルチャーの基本としてあるのは、まずは「観察」であるということ。日光がどのように移動してどう影響しているのか、ここには何があって自然はどのように変化していくのかを、長期的に観察して初めて自然の恵みを最大限に生かすことができるという観点が大切なようだ。

植林

そして、その観察していく過程にはいつも「気づき」や「学び」が存在して、大小に関わらず仮説と実験を繰り返して「学び続ける」ことが重要なのだとブレンディは話してくれた。

傾斜を利用したコンポストトイレ。この前には畑があり、細かく動線が考えられていた。

ミッションとビジョン

O.U.R. Ecovillageは、自分たちの使命(ミッション)をこう記している。

 

【盛んな学びあるコミュニティの共創とパーマカルチャーの実践によって、ひらめきと変革を教育すること。】

そして、「私たち自身、そして世界の持続可能な幸福」というビジョンも掲げている。

 

これまで約20か国を訪れて感じたことは、世界レベルで物事を捉えることは、自分の周り半径0mのことを考えることと似ているということだ。一見正反対のように感じるのだが、世界の最小単位は自分自身でしかない。自分自身の幸せが、自分の周りの幸せを生み出すことに関係しているのだ。

アートスティックなものが多かった

 

 

自然と教育の共通点

話が少し逸れてしまうが、自然への配慮を掲げている国の教育には、共通された面白さがあるように思う。持続可能な社会、持続可能な環境を構築することは、どこか持続可能な質の良い教育にもつながる何かがある。

そこでは、「自分は何かによって生かされているんだ」という心構えが他のものとの共創を図らせ、それらとの相互作用によって無理のない本来の自然な人間の姿に近づかせているのではないだろうか。

 

人生に貪欲であれ

旅をしていると、人間の汚い部分も美しい部分もオブラートに包まれることなく訪れてくる。それらを平等に捉えようとするのだが、「生きる」ことは決してきれいごとではないのだという彼らの意思が、僕のその思考を止めるのだ。

しかし、それが人間なのだと理解すると同時に、「僕らはより良くなる途中なのだ」という希望によって生まれる力が、明日を生き抜く活力にもなることは確かだ。

 

『自分の人生に貪欲であれ。』

どこからかともなく、そう言われているように感じた。

 

このO.U.R. Ecovillageは、地球にも貪欲であった。他では使用されないガラクタや廃品などを取り寄せてのリサイクル。小瓶に残っていた煮汁の利用方法や壊れたものの活かし方、自然の恵みの再発見など、未だ気付かれていない地球の恵みに気づこうと貪欲であった。

僕たちは、何気ない日常に存在するものの価値を勝手に決め、その価値を変えずにいる。それを再検討することで「ひらめきと変革」につながって、学び続けるサイクルが生まれるのかもしれない。

 

O.U.R.

O.U.R. Ecovillageの「O.U.R.」とは、One United Resourceの頭文字からきているとのこと。直訳すると、「一つの団結した資源」となる。

地下資源、海洋資源、森林資源などの限りある資源との共生や調和、そしてそれらへの配慮や貢献といったものを「人材資源」という団結された資源が考えていく必要があるのだと、そう示しているのかなと理解した。

 

ナチュラル

ナチュラルという意味も含まれた「自然」をどこか求める背景には、きっと人間がナチュラルに生きていける環境を求めているようにも感じる。エコロジカルな暮らしの中には、様々なナチュラルが存在する。

それらに囲まれることで、自分自身も同じようにナチュラルでいられるというのは、むしろ当然なことなのかもしれない。

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