カナダの our ecovillege で知り合った方を通して、バンクーバー島に住んでいる日本人の方とお話しする機会を頂いた。その方のお名前はハルさん。ハルさんの前職は医師。安定した職業を捨て、遠い地を目指したのには、日本社会に対する疑問と子どもたちの存在、そして東日本大震災の影響があったとのこと。
詳しくは、ハルさんのブログを読んでほしい。ハルさんは現在4人の父。カナダ教育の方針を垣間見ることができるとても面白い内容だ。
ハルさんはとても魅力的な方。良い加減に力の抜けた佇まいや話し方の中にある芯の通ったしなやかな思考は、僕を何度も魅了した。
ハルさんのお子さん(次女と長男)は現在、ミルベイの「ネイチャースクール」という場所に通っていた。名前にもあるように、自然を通して教育を行うということで、基本的な活動は屋外となっている。
そして、ハルさんが「勉強はほとんどしてないよ」と言っていたように、座学はほとんどない。数年前に学校だった校舎を受け継ぎ、自然との触れ合いを通した学びを提供する環境へと変えたようだ。
この学校を象徴しているものの一つとして、僕は校長先生の部屋を推薦する。ハルさんも「校長先生がいい感じにファンキーなんだよねぇ」と語っていた。
大人が楽しんでいないと、良い教育はできないということを感じる。
子どもたちの教室にも、興味関心をさらに駆り立てるような環境と、創造性溢れるものが多かった。
カナダでは、小学校(5歳〜13歳)、中学高校(13歳〜18歳)という区切りがある。このネイチャースクールは、5歳〜13歳までの子どもが通う、国が認めている「公立」の学校であるということ。
また、学年という概念もほとんどなく、留年への敷居はとても低い。クラスは縦割りとなっていて、5歳〜13歳までの幅の子どもたち10数人が1クラスを形成するとのこと。(ここはまだ開校して数ヶ月ということで5歳〜9歳の子どもたちだけだった)
保護者と先生の距離が近い
この学校での1日は「Circle」という“全体集会”から始まる。この活動には、多くの保護者が参加していた。ある保護者からのビデオレターをプロジェクターで流していたりもしていた。
活動時も、保護者はいつでも自由に見学することができる。僕には見学というか、先生と一緒に子どもたちを見守る一人としてそこに存在しているようにうつった。先生も保護者も、子どもの最善の利益を提供する同じ仲間ということなのだろう。
そう感じたのは、保護者を目の前にした先生たちの凛とした普段とは変わらない(と思う)態度があったからだ。そもそも、先生という見方がないように感じる。子どもも保護者も先生も、一人の人間として対等に目の前の人と接している印象を受けた。
先生たちがよく休む
「あと、ここの先生たち、よく休むんだよねぇ」とハルさんは笑っていた。国民性もあるだろうが、仕事とプライベートのバランスをしっかり自分で調整しているようだ。
そのため、学校に行ってみたら今日担任の先生が休みだったってことが多々あるとのこと。
「その場合、子どもたちはどうすんですか?」と尋ねると、「代わりの先生が別のところから来るんだ。先生が休みの時に代替えとして来る専用の先生がいるみたいなんだよね」と言っていた。
そのシステムには驚いた。このシステムのおかげで、先生たちは気兼ねなく休めるということだ。
SNSで情報発信
このネイチャースクールでは、SNSを利用して保護者に多くの情報を発信している。
日中の活動の様子や、学校の考え方など、普段から学校の方針を伝えることで不必要な誤解や不安を防ぐといった工夫があるとのこと。
メディアとの付き合い方を率先して実践しているところは、教室の中にあった大量の電子パッドも物語っていた。自然との関わりを深める道具として利用しているようだった。
選択肢が多い
カナダでは、5歳からいわゆる一般的な小学校・ネイチャースクール・ホームスクーリングなど、子どもの気質や特徴によって学ぶ場を、多くの選択肢から選ぶことができる。
違いを認める社会や制度が整っているということだと思う。
ホームスクーリング
カナダでは「ホームスクーリング」の認知度が高い。これは、学校などの場に行かなくても自宅での学習によって、学校に通っているものと同様の資格を得られるというものだ。近年、日本でも「ホームスクール」は注目され初めているようだ。
ハルさんの息子さん(5歳)は、ここがあまり楽しそうじゃない・合ってなさそうだからという理由でホームスクーリングに切り替えようとしていた。
それに対して学校の先生は、無理に引き止めることはせず親身に相談を受け、ホームスクーリングの内容や、必要な書類を丁寧に揃えてハルさんに渡していた。
その子の学びに合う学びかたとは?
日本には現在、約13万人もの不登校児がいるとのこと。学校に通うことができない理由は様々だと思うが、その子どもたちの受け皿はあるのだろうか。
また、その子どもたちに向ける社会の目は一体どのような目をしているだろうか。
“じっとする”が苦手な子用の工夫
ベダルデスク・バランスボールなど、生まれ持った気質によって学びの機会を減らしてしまっているものを取り外す工夫が、カナダにはたくさんあるとハルさんが話してくれた。
日本でも、近年「フリースクール」の活動が盛んになっている印象がある。
多様な子どもたちのために、多様な学びの場を提供するという環境が整ってきている中、やはり、一番重要になってくるのは、差別や偏見という社会の目の変革になるだろう。“一般的な学校”に行っていないということに対する社会の目はまだ冷たい。
カナダでは、良い意味で「学校」に依存していなかった。学校が向いていなければ別の選択肢がある。学校だけが、学びの“場”ではないことをさしているように。あくまで、その子には何が合って何を望んでいるのかに沿った環境を用意しようとする社会の姿勢があった。
勉強をしなくて大丈夫なのか?
この質問に答えるためには多くの情報と経過観察が必要だと思う。ただ言えるのは、この環境下に置かれていた子どもたちが、現在のカナダという国を作っているということだ。
カナダという国
カナダは、「世界で最も住みやすい国ランキング」にも毎年上位を占め、日本よりも先進国でリベラルなイメージがある。
また、LGBT運動に関しても先進的だ。2005年に同性婚、2016年には医師による安楽死が認められた。2017年には、パスポートなどの公的証明書に男女の性別とは別の項目を追加している。
「多文化主義政策」によって、様々な人種が平等に社会参加できる国を目指している移民国家。それがカナダという国だ。
カナダのやり方をそのまま日本で実践しても意味がない。背景や国民性、思考や価値観などの異なりが別の問題を引き超してしまうだろう。しかし、カナダの目指す社会は、少なくても国民一人ひとりに寄り添おうとしているものであることを感じた。
カナダでは、基本的にヒッチハイクで移動した。助けを求めれば、それに反応するスビードがとても早くて何度も助けられた。多文化主義という、一見自国の特徴を薄めかねない政策は、かえって自国の意識を強固なものに変え、決して揺らぐことがない何かを作っていくのかもしれない。
“良いか悪いか”ではなく、“合うか合わないか”
ハルさんとの会話で、もっとも印象に残ったのが「“良いか悪いか”ではなく“合うか合わないか”が大事だよね」という言葉であった。
ここには、良いか悪いかで判断するのではなく、合うか合わないかで判断できるような社会があるように感じた。寛容性が生まれるところには、必ず「合う・合わない」という判断基準があるような気がする。
「あなたはこれができていないから悪い」と判断されるよりも、「これはあなたには合わないのかもね」「あなたにはこっちの方が合っているかも」と言われるだけで、どれほど救われるだろう。
それを言うことができる教育者は、どれほどゆとりを持って子どもと向き合うことができるだろう。
それを言われて負担なく別の選択肢をとることができる保護者は、どれほど子育てが楽しくなるだろう。
唯一無二だという存在を本当に信じることは、子どもを社会に沿わせるのではなく、子どもに社会を沿わせようとすることだと思った。
旅をしていると、日本は「天才」が生まれにくい国であると感じることがある。しかし、同時に日本の良さも際立ってくる。そんな話をハルさんとしていると、ハルさんはこう言った。
「今、日本は分岐点なのかもねぇ。頑張ってね!」
ハルさん、僕のことを信じて貴重な時間を共有してくれて、本当にありがとうございました!!
Mill Bay Nature Schoolのホームページはこちら。
ハルさんのブログはこちら。
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