出迎えはマサイ
人類最古に近い場所で生活をしているタンザニアの人々の暮らしへの興味もかねて、4回目となるworkawayはここタンザニアに決めた。キリマンジャロ空港からのピックアップを頼んでおいた僕を出迎えたのは、マサイの男だった。
よく写真を取りたがるマサイだった。
到着日はバラカからこの家の案内をしてもらって終えた。
ホスト先
ホスト先は、アメリカ人のジェイコブ(夫28歳)がタンザニア人のマジュマ(妻29歳)と一緒に6ヶ月前から住んでいる家。
ジェイコブはここでホテル経営に携わりながら、自宅庭でパーマカルチャーを実践していた。ジェイコブはとても勉強熱心で、多くの関連書籍を読んで日々実践と研究を繰り返しながら、自給自足の暮らしを構築していた。
このような環境で、僕は2週間滞在した。
寝坊
workaway1日目から僕は寝坊した。
多分、自分が思っていたよりも空港泊は僕の精神と肉体を削っていたようだ。ジェイコブは「問題ないよ。君はとっても疲れていたんだよ!今の調子はどうだい?」と懐の深い対応をしてくれた。
22歳の時にタンザニアと出会い、その自然と文化に魅了される。その地でビジネスを始め、スワヒリ語を完璧に習得して、その後家も購入したジェイコブ。
タンザニア人の妻と一緒にこの地に骨をうずめる覚悟だ。周りから見れば理解しがたいことでも、それは「魅了」とか「好き」が簡単に打ち消してしまう。人間の無限の可能性は、きっとこの分野から発揮されるのだろう。
蜜蜂
話が逸れてしまった。
何が言いたかったというと僕は蜜蜂に2箇所刺されたということだ(笑)。
ジェイコブが実践するパーマカルチャーガーデンで、岩を取り除く作業をしていると、砂埃が多くたった。それが嫌だったらしい。特攻部隊の蜜蜂が僕のくるぶしと背中を襲った。
僕は生まれて初めて蜜蜂に刺された。
くるぶしには綺麗に針部分が残っていた。それを一緒に作業していたマサイ族のバラカが、そうっと引っこ抜いてくれた。
毒を押し出し、流水でよく洗い流すという応急処置をした後様子をみる。1日中ピリピリという痛みが襲ったが、大きく腫れることもなく事なきを得た。
僕がそこまでパニックにならなかったのは、一緒に刺されたバラカが平然としていたからだ。もちろん痛がっていたが、「刺されちゃったね、テヘペロッ!」くらいの感覚でいたからだ。
自然との距離が近いとこんな事もある。何はともあれ、大事に至らず良かった。
仕事内容
ここでの仕事は、主にパーマカルチャーガーデンの手入れであった。庭にある石を取り除いたり、伸びたブーゲンビリヤを切って整えたり、使用済みペットボトルでポットを作って種を植えたり、コンポストを利用した栄養満点の土作りをしたり、水やりなどが僕の仕事であった。
ジェイコブは、「この庭には何十種もの食べ物が育っている。それらの多様性は自然そのもので美しい。」と語っていた。
そう思える君の心が美しいよ、という酔いしれた言葉が頭をよぎったが、自然との距離が近い暮らしをしている人の共通点には、純粋でどこか泥臭くもあり、ひたむきで自然への敬意を忘れない「美しさ」がある。これが、エコロジカルな暮らしの原点でもあるのかもしれない。
恋でいう「ときめき」、アートでいう「表現」、教育でいう「可能性や幸せ」のようなものだろうか。
僕は、エコロジカルな暮らしから人間的な美しさを見出している。それがきっと「豊かさ」につながると信じているからだ。
そんな思いを抱きながら、僕はここタンザニアでの暮らしを楽しんでいた。
多様化するマサイ
滞在中、ジェイコブ&マジュマ夫妻の結婚5周年記念日があった。
その日は飼っていた鶏をさばいて食べることになった。地元の人が来て鶏をさばくのだが、マサイのバラカは目を背けていた。原点が放牧生活で命あるものを自らさばき自分の命にしているマサイ族の中でも、命を奪う瞬間に目を向けられない人もいる。
今では、マサイは携帯も持っているし、バイクにも乗っている。時代とともに多様化しているのは、マサイの世界でも同じようだ。
一緒に働く仲間
このホストにはお手伝いが2人いた。1人はマサイ族のバラカ(29歳)。もう1人がペンロ(27歳)。
この2人とは日中ずっと一緒なのでとても仲良くなった。
日本の物価事情や仕事内容、有名なスポーツや暮らしについて。そして、やはり宗教の話になった。ペンロはキリスト教徒で日曜は教会に毎週出向く。
Godを「空気のような存在」「いつも見守っていてくれる存在」と話していたのが印象的であった。自分にとってなくてはならないものであり、常に自分を許し支えてくれる存在であるとすると、日本ではその対象は誰なのだろう。
仏教が日常に浸透していることにも気がつかないくらい、日本人の宗教に対する意識は低い。しかし、ペンロがGodをあのような存在として捉えていると聞いて、日本人はその対象が「憧れの存在」に対する意識と似ているようにも感じた。
ペンロはこう言う。
「何かに迷ったり、問題が起きたらGodに聞くの。あなたならどうしますかって。そしたらお言葉をくれるわ。」
日本ではよく憧れの存在思考を参考にする。もし僕がイチローを尊敬していたら、「この場合、イチローならどうするかな」と考えるだろう。また、“空気のような存在”だとすると、亡くなった父親がいつも見守っていてくれるから大丈夫、いつもそばにいてくれる、と考える人もいるだろう。
宗教の根底には、「何を信じているか」があるのだと思う。日本人には馴染みのない「宗教」であっても、信じているものはあるはずだ。ただ、何を信じるべきかということを自分で決定する能力は、世界各国の人々に比べて低いかもしれないと、旅に出て思った。
自分が信じているものを明確に表現できている人は、きっと幸せだ。
タンザニア
タンザニアの物価は安い。ローカルな地域では、500mlのsprite(ジュース)が40円。玉ねぎ10個で30円といった感じだ。
それと連動して賃金も低い。マサイ族のバラカは1日3〜4時間働いて(土日休み)、月2000円ほど。ペンロは1日8時間働いて(日曜休み)、月5000円。
しかし、道が舗装されていないこのリガンガという地域では、小回りのきくバイクが重宝されている。町に買い物に行く時など、バイクタクシーを使うのだ。それが1回80円くらいなので、バイクタクシーの運転手はわりと稼いでいるようだ。
だから、バラカはバイクが欲しいと言っていた。バイクタクシーでお金を稼ぎ、少しずつ貯金して、将来は「マサイサファリ」というツアー会社を作りたいと夢を語ってくれた。ただ、ここタンザニアでもバイクは10万円ほどする。
出会って数日の僕に「僕にバイクを買ってくれないか?」と真剣な表情で素直に言える強さは見事だ。
アルーシャ観光
休日、近くにある大都市「アルーシャ」にバラカと観光にも行った。
アルーシャまでは、現地の人が使う「ダラダラ」と呼ばれる乗り合いバスで行く。
僕たちがいるリガンガという地域からアルーシャまでは、片道30円ほど。約30〜40分かかる。というのも、途中で頻繁に乗客の乗り降りがあるからだ。「ダラダラ」という名前が、とてもマッチしていて笑えた。
アルーシャは活気に満ち溢れ、まるでインドのような、生命の巣窟のようなそんな雰囲気すら感じる場所であった。
タンザニアで食べた料理
ホストが作ってくれるタンザニア料理は、少しの砂が混じっていることを除けばどれも美味しかった。咀嚼中の「ジャリッ」という感覚も、薄暗闇でとる夕ご飯も、タンザニアの暮らしを直に体験できていることを感じられてむしろ楽しかった。
異文化交流として、折り紙を教えたり、肉じゃがを作ったりもした。
料理酒やみりんがないので、ワインで代用したり、地元のローカルマーケットを訪れて野菜を購入するのは刺激的だった。まぁ僕自身、肉じゃがを作ったのはこの時が初めてであることは黙っておいた(笑)。
少々味に深みがないものの、ある程度似た様な味となったので満足している。ジェイコブとマジュマも「ナイスな味だ!」「本当。美味しいわ!」と言ってくれたので安心した。
日本の文化は世界に誇れるものが多い中、僕はまだまだ日本を知れていないということに気づかされるのが、「旅」でもある。僕は、旅をしていく過程で、日本のことがますます好きになっていく。
「離れて初めて気づくことがある」ということなのだろう。この離れるというのは、距離でもあるし考え方でもあるのだと思う。何か問題が起きた時に、別の視点で物事を捉えてみるというのはよく言われていることだが、それを実践している人は決して多くない印象だ。
ただ、それを自己選択からの体験として得ている人というのは強い。すごい!というよりも強い!といった感じ。僕はそのような強靭な精神を習得しながら旅をしている、と信じている。
好きなものは最初に食べる
「好きなものは最初に食べる派?それとも最後に食べる派?」と聞かれれば、「最初に食べる!」と即答する生き方をしようと思ったのは、この経験があったからだ。
タンザニア滞在も残り2日。僕の最大の目的地「ラエトリ遺跡」に行く日だ。
友人のバラカ(マサイ族)のつてで、僕専用のツアーを組んでもらった。そのツアーは「オルドバイ渓谷」と「ラエトリ遺跡のフットプリント」に行くツアー。
しかし当日、友人のバラカが寝坊したことと連絡の行き違いなんかで、出発が2時間遅れた。
その時は、まぁ問題ないかななんて思っていた。しかし、結果的に神様は僕に再び試練を与えるのだ。手を伸ばせば届くような距離でも、手を伸ばすことを断念しなくてはいけない状況が僕を襲ったからだ。
ンゴロンゴロ
目的地の2つは「ンゴロンゴロ自然保護区」の中にある。そのため、勝手に入ることは不可能。専用の車両と通行証、そしてお金がかかる。僕はこのンゴロンゴロ自然保護区を甘く見ていた。というのも、とてつもなく広いのだ。大きさにして約8300㎢。兵庫県と同じくらいの大きさなのだ。
つまり、自然保護区に入っても、なかなか目的地にはつかないということ。
ちなみに「ンゴロンゴロ」というのは、放牧している牛につけた鐘が ♪ンゴロンゴロ〜♪ となることからつけられたとか。…面白い。
オルドバイ
そんなンゴロンゴロに無事に到着し、最初に「オルドバイ渓谷(オルドバイ博物館)」を目指す。タンザニアといえば、ンゴロンゴロといえば「サファリ」なのだが、野生のシマウマやキリンにも車を止めることなく荒れた道を突き進む。
そしてやっとのことでオルドバイ渓谷に到着。アルーシャからオルドバイ渓谷までは、4時間半かかった。次の目的もあるので、多少急ぎの観光となった。
ラエトリ遺跡
そして、オルドバイ渓谷から最大の目的地「ラエトリ遺跡」に向かおうかとした瞬間、ドライバーから衝撃的すぎる一言が…。
「…マイフレンド、時間がなくてラエトリには行けない。」
「……ん?」
「この保護区は18時にゲートが閉まってしまう。今からラエトリに行くとそれに間に合わない。」
「……ん?…ん!?なにーーーー!!」
そんなの聞いていない。ツアーはそういう約束だったし、ラエトリも地図上こんなそばにあるしといって携帯で地図を見せると、
「ここからラエトリまで90㎞ある。2時間かかる。」
「…2、2、2時間!?」
今の時間が15時半なので、今から向かったとしてラエトリに着くのは約5時半。しかし、そのラエトリから入退場ゲートまでも2時間かかる。恐るべき広さ…。完全に判断ミスであった。ツアー会社を信用仕切っていた。18時でゲートが閉まることも目的地までの時間も知らなかった。
僕は勝手に、楽しみは最後にとっておこうとラエトリ遺跡を後にしたが、その結果、僕はラエトリ遺跡を目にすることができずにその場を去ったということだ。
バラカが寝坊したとか、手続きの問題やらで2時間出発が遅れたという伏線もあるが、起きてしまったことは仕方ない。そこから、機転を利かして最初にラエトリに行くよう伝えればよかったと、そのあと数時間引きずった。
58㎞
帰り道には「ラエトリ遺跡」の看板があった。その看板には「58㎞」の文字。きっと58という数字は一生忘れないだろうとその時思った。僕の悲痛な感情がにじみ出ている写真。
しばらくは果てしない落ち込みが僕を襲うだろうと思っていたが、それを和らげてくれたのは車窓から見える多くの羊を颯爽と束ねるマサイ族の5歳くらいの男の子であった。赤い独特の衣装に着られたような小さな体で、飼っている動物をじっと見つめるその姿から、僕は自分の小ささを感じた。
マサイにも様々なマサイがいる。
僕が滞在していた家の手伝いをしているマサイもいれば。都市でバイクタクシーをしているマサイもいる。僕は、無限に広がる草原で住み放牧生活をしているマサイの印象しかなかった。「ンゴロンゴロ自然保護区」にはその僕の印象通りのマサイが、独自の住居を作り放牧して生活していた。
多くのマサイが道端に座り込み、4WD車で通るツアー客を見ている。昨今では、写真を撮らせてお金をもらうという原住民の状況も生まれているようだ。
何かを比べることで何かを失っていくように感じたし、そして、知らないという強さもあるように感じた。おそらく、5歳くらいのマサイの子は、僕がどのような生活をして世界には何があるのかをまだ知らない。それが生きる原動力となることもある。僕がラエトリを目にすることができなかったことが、これからの僕の生きる上での原動力となるかもしれないと、凸凹の道をひた走る車の中で感じた。
ここに来れてよかったと素直に思えたのは、他の誰でもない、自分で選択して来たからに他ならない。