フィンドホーン(FINDHORN FOUNDATION)とは、スコットランド北東部(ネス湖近隣)にある「フィンドホーン財団」の名称で、「クルーニーヒル」と「ザ・パーク」の2つのサイトからなる生活共同体(コミュニティ)である。毎年、世界70カ国以上の国から1万4千人ほどが訪れている。
僕はここで、Experience Weekというプログラムに参加した。これは、実際にコミュニティに参加しながらフィンドホーンを理解していくプログラムの一つである。
フィンドホーンの3本柱
- 地球規模での奉仕・意識革命
- 自然との調和
- 全ての人・物に存在する“聖なるもの”への認識
フィンドホーンコミュニティは、日常に根ざしたスピリチュアリティーを通して、自然と人との共存、人の在り方・つながりを学び続ける、国際色豊かな共同体として世界からも注目されている。
フィンドホーンとは
現在では、多様な国籍からなる400人以上の人が集まり、従来の生活様式とは異なる生き方を共に実践している。
僕が滞在したのは、「クルーニー」という大きな屋敷のような施設だったが、そこから8㎞離れた場所には「ザ・パーク」というエコビレッジがある。
そこは、新時代の暮らし方のモデルとしても注目を集め、国連と連携しているNGO団体として、地方自治体のための環境教育センター(CIFAL)の一つとしての機能をも担っているとのこと。
また、ホリスティック教育センターとして、社会・経済、文化、自然環境面での環境維持持続が可能な暮らし方の形を探求、実践している。
フラワーエッセンスの講座なども開かれており、日本からも多くの方が参加している。
日々を意識的に暮らす体験、また自然の中に身を置くことなどにより触発される気づきや、スピリチュアルなものについての深い理解と共感を深めている場所だ。
エコ・ビレッジ計画は今も進行中であり、本来の生命の基盤である【真のつながり】を地球そして世界レベルで見ていき、精神・文化・経済そして環境面すべてを含めて維持可能な、人と精霊・自然の関係とつながりを表現し、次世代へと続けていける村づくりをしていくことを目指している。
スピリチュアル
「世界にある主要な宗教を、それぞれ“内なるもの”につながる多数の”道”の一つとして認識、受容している。」
宗教というくくりを超えた“聖なるもの”“内なるもの”とのつながりを重視しているのがフィンドホーンだ。一言で表現すれば「スピリチュアル」な場所。僕はスピリチュアルとは無縁の人生を送ってきたのだが、実際にここでの暮らしを体験して捉え方がガラリと変わった。
どう変わったかというと、スピリチュアルとは「五感を極限まで研ぎすまし、自然を敬い共存しながら感謝の心を持つ」を実践しているという感想を抱いた。もちろん、「自然」の中には人間も入っている。
たぶん僕は、「スピリチュアル」が理解できないから何となく恐れていたのだと思う。まるでお化けのように。でも、目の前には同じ人間がいて、同じ空間で僕はとても心地の良い時間を過ごせたのは確かだ。
シェアリング
このプログラムに参加して、理解できないものを「理解しよう」とする思考に変わった。それを支えたのは、グループ内で1日に何度も行われる「シェアリング」だった。
みんなが輪になり、それぞれが「今何を感じているか・さっき何を感じていたか」を話していく時間。1日に何度も行われるので、口下手+英語が苦手な僕にとって毎回が挑戦であった。自分の心に目を向けてそれを言葉で伝える経験は、普段なかなかしていないことに気がついた。
他のみんなの言葉を受け入れていく中で、自然と新たな発見や感情が生まれる。それが、「絆」の根っこになるのだと、当たり前のことを実体験から深く理解できた。
世の中で「当たり前」だと思われている意味を、もっと深く理解したいと思った。
このシェアリングは、普段、問題が起きた時だけする印象であった。しかし、フィンドホーンでは毎日する。まるで、それが歯を磨くことやご飯を食べることと同じように行われるのだ。
メンバーが自分の話をしながら、感極まって涙を流す場面も少なくなかった。まさに、「つながり」を生み出す場づくりの一つだった。
自分の気持ちを言ってスッキリしようというわけでもなく、「答えは自分の中にある」ということに気がつく時間でもあるように思えた。
決められた言葉をただ吐き出すのではなく、間を十分にとりながら自分の心の中にある感情と真剣に向き合い、それを相手に伝えながらも、自分に諭しているように見えたからだ。
間
「間」という単語で思い出したが、フィンドホーンではこの「間」が非常に多い。
僕は、これが苦手であった。「ん?ん?どうした?」と、その時間の意味を勝手に考えてしまうからだ。
しかし、ここでの暮らしの中で、時にそれはアイコンタクトであったり、時に五感を研ぎすまそうとしている時間でもあった。
だから、フィンドホーンの人々にとって、この「間」はとても心地良いものであり、これもコミュニケーションの一つであったにちがいない。
よく行われる「瞑想」も、この「間」を極めるための準備であるという印象を受けた。
1週間という短い期間では、この「間」をうまく使いこなせた自覚はないのだが、もうそれに対する苦手意識はなくなった。
同時にアイコンタクトを通して、感情を伝える術を学べた気がする。海外に出ると、頻繁に使うコミュニケーションの一つなのだ。
旅に必要な持ち物に「アイコンタクト」が加わった。
Love in action
プログラムの中には、「ラブインアクション」という活動があった。その活動は、愛の活動と言われていて、創設者アイリーンの「“Love where you are. Love what you’re doing. Love who you’re doing it with.” 」という言葉がもとにある。
オーロヴィルのサダナフォレストでは「SEVA」と言われていた“無償の活動”のように、この活動の愛に気づくための思考でもあった。
どうやってその活動を決めるのかというと、場所の書かれた紙が伏せてあり、グループのメンバーがその紙の上に立ち、一番しっくりきた紙の上にとどまるという方法だ。
日本ではクジとかが一般的だが、自分がしっくりきた紙の上に他の人がいたら交渉となる。お互いが納得できる形をみんなで模索する感じ。
僕のラブインアクションは「パークのメンテナンス」になった。それは、滞在しているクルーニーから少し離れた場所にある「ザ・パーク」と呼ばれるビレッジのメンテナンス部署を意味していた。僕はエコビレッジに興味があったので、願いは叶えられた形となった。
クルーニーからパークへの移動は、1日に数本あるシャトルバスに乗る。
メンテナンス部署は、主にザ・パーク内の修理を担当する。壊れたもの直したり、ペンキを塗り替えたり、住人の要望に応えて木工製品や家具なんかも作る。
僕たちが働く時間は14:00〜17:00の3時間。その3時間はとてもゆるくて心地よかった。
なぜゆるいかというと、途中には20〜30分のティーブレイクがあるからだ。しかし、この時間も重要だと気づかされることとなる。
仕事に対する価値観が日本とはまるで異なっていた。彼らは仕事を仕事と思っていなくて、きっと「貢献」だと思っている。だからなんでも楽しそうに作業するし、時間に追われることもないので、一つ一つ丁寧にその間に流れる時間をかみしめていた。
その部署の人たちは、みんな素敵な人だった。作業中に必ず「これどう思う?」「何を感じている?」などと聞いてくる。決して一人で進めようとはしない。まさに、結果ではなくその過程を楽しんでいる。
僕の理想がここにあったわけだが、きっと仕事の時間だけそうしようしてもできないようにも思えた。この雰囲気というものは、ティーブレイクの時間も含め、暮らしの佇まいと繋がっていて、滲みでてくるものなのだと思う。
アチューメント
作業の始まりと終わりには、必ずみんなで輪になり「アチューメント」と言われる時間が設けられる。部署のまとめ役の人から今日の作業について話しや、各々が自分の心に意識を向ける時間とも言える。
また、今こうしていることに感謝をする。まるで、遠心力がなくなってブレてきた独楽を再び回し直すかのように。
僕は、このメンテナンス部署でベンチの塗装、廃材置き場作り、ペンキ塗りなどを行った。フィンドホーンに、少しでも自分が携わったものが形として残るというのはとても嬉しいことだった。
Higher purpose
ある日、フィンドホーンの創設者の子孫である方のお話を聞くことができた。自分の生い立ちからフィンドホーンが始まるまでの道のりなどを話してくれた。最後に僕は「良いコミュニティに必要なものは何ですか?」と聞いた。
するとすぐに「Higher purpose.(より高い目的)」とかえってきた。そして、これは全体という意味もあるし、個人レベルでもそうだと加えていた。
より高い目的…
フィンドホーンの三本柱には
- 地球規模での奉仕・意識革命
- 自然との調和
- 全ての人・物に存在する“聖なるもの”への認識
がある。これらが全体の“より高い目的”であるとすれば、個人レベルでは何を思っているのだろう。もちろん、個人でもこの目的に向かって日常を過ごすのだが、ここに暮らしていてそれだけではない何かがある気がした。
この疑問をグループのまとめ役の人に話してみると、「それはきっと“自分の心に従っているか”かもね」と言っていた。財団のより高い目的を目指すためには、それに向き合うための準備が必要だと思う。それが、“自分の心に従っているか”なんだと理解した。
自分の心に従う
彼らが日々のアチューメントを通して自分と向き合っていたのは、きっと「今私は、自分の心に従っているだろうか」という意味もあったのだと思う。
他人が言っているから、これをしなればいけないから、というものと真剣に向き合い、自分の心は何を求めているか、自分を満たすものは何なのかを実践することで、それが結果的に全体のより高い目的につながっていくのだと感じた。
つまり、個人レベルでのより高い目的というのは「自分の心に従うこと」なのだ。
なんだ簡単じゃん、と思うかもしれないが、集団生活の中で自分の心に従って物事を進めるには、多くの壁や困難が待ち構えているだろう。
それでも、自分の心が望むもののためなら頑張れる。それが全体のより高い目的にもつながるという周りのサポートに気づき、それがコミュニティ内で循環して、結果的に“良い雰囲気”になっていくのではないだろうか。
そして、“誰かが望むことをサポートできる周囲の環境”というものがキーワードになってくる。
僕が感じた心地よさは、きっとこのフィンドホーンに充満しているその環境があったからなのだとわかった。
Giving thanks
メンテナンス部署での最後の挨拶の際、作業を共にした方が涙目になりながら「一緒に活動できて楽しかった。ここに来てくれてありがとう。そして、あなたでいてくれてありがとう。」という言葉をくれた。
イタリア出身の彼とは、ティーブレイクでチーズについての話で盛り上がった。
彼は、ペンキ塗りの作業一つをとっても、丁寧に心を込めて行っている姿が印象的であった。僕は、それを感じながら同じように作業した。
言葉を介さなくても、そのような感情は伝染するのかもしれない。彼とのタイミングの良いアイコンタクトがそう感じさせた。
このように、日常に「五感を極限まで研ぎすまし、自然を敬い共存しながら感謝の心を持つ」というスピリチュアルを落とし込み、持続可能な社会を目指して豊かに楽しそうに暮らす人々がいた。
全体の感想として、フィンドホーンの人たちは“Giving thanks(感謝を伝える)”が上手だなと思った。上手というか、それを通して自分を知ろうとしている気がする。自分が心地よいと感じるものは何なのか。何にでも感謝するということでもない。だから、自分というものがはっきりしている。
はっきりしているもので、コミュニティに貢献しようとしている。
人間としての幅を広げたいという目的を持って、この旅をスタートしたことを思い出させてくれた。
そしてここフィンドホーンには、その手本となる人々で溢れていた。