インドの次は、イスラエルを訪れた。理由はイスラエルの「キブツ」を学ぶためである。
キブツ(Kibbutz)とは
1909年帝政ロシアの迫害を逃れた若いユダヤ人男女の一群がパレスチナに渡り、最初の共同村デガニアをガリラヤ湖南岸に設立したのがキブツの始まりである。彼らは、自分たちの国家建設の夢を実現させようと願って、生産的自力労働、集団責任、身分の平等、機会均等という4大原則に基づく集団生活を始め、土地を手に入れ開墾していった。迫害のために世界各地からユダヤ人がこの地にやってくると共に、キブツの数や人口は増大し、学校、図書館、診療所、映画館、スポーツ施設などの建設もすすめられた。元来農業が中心であったが、現在では工業や観光業も営み、独立した自治体的な側面も有している。当初、生活のすべてが無料で保障されるとともに構成員の労働は無報酬であったが、現在では給与が支払われるようになっている。(Wikipedia参照)
キブツは、ヘブライ語で「集合・集団」を意味し、生産的自力労働、集団責任、身分の平等、機会均等という4大原則に基づく共同体である。
エコロジカルやコミュニティをテーマに旅をしている僕にとって、未開拓の地から暮らしを形成して独自の文化を築き上げてきたキブツコミュニティはとても興味がわいた。
僕はこの「キブツ」知るためにイスラエルに渡航したのだが、結果的にそこに滞在することはできなかった。というのも、数年前までは、行き当たりばったりで各キブツに伺って交渉すれば受け入れられていたようで、世界中のバックパッカーたちがこぞってそこを訪れ、コミュニティに参加(労働)しながら、無料の食事と宿を提供してもらっていた。
しかし、近年では「キブツボランティアプログラムセンター」という統括する組織ができて、まずそこに登録をしてからの参加となる。
僕もそこに問い合わせてみたのだが、日本にいる時にしか手に入れることができない書類(例えば犯罪経歴証明書など)が必要なのだ。すでにイスラエルに降り立ってしまっている僕にはどうすることもできなかった。しかし、僕がツイていたのは、宿泊していたイスラエルのエルサレムにある宿「Hebron Youth Hostel」に、救世主「鈴木さん」がいたのだ。
救世主、鈴木さん
僕の救世主となった鈴木さんは、過去(1973年)に1年2ヶ月もの間「キブツ」にいた経歴を持っていた。そしてこの宿には、2週間ほど休暇をとって滞在していたのだ。
鈴木さんは71歳。現在は週に3,4日ほど東京でタクシー運転手をしている。週末は千葉で田舎暮らしをしているとのこと。鈴木さんは、この宿とのつながりがもう30年を超えるという。
そのため、宿のオーナーとは家族のような関係になっていた。そのオーナーは、宿泊客が来ると、「This is my son. 」と必ず鈴木さんを紹介する。鈴木さんの方が年は上であることは気にならないくらい、オーナーは鈴木さんを溺愛していた。
鈴木さんはスタッフでもないのに、宿泊客が来るとボランティアで受付の手伝いをしていた。驚いたのは、オーナーはお金のやり取りを別のスタッフではなく、鈴木さんにお願いしていたことだ。オーナーと鈴木さんの信頼関係があってのことだろう。
ここで、僕は鈴木さんからキブツについてのたくさんのことを聞いた。
鈴木さんは、数十年前にあった「日本共同体協会」という団体のつながりから「キブツ」に参加していた。日本での生活に疑問を唱え、共産化に可能性を見出し、共産社会であった「キブツ」への参加を決めたそうだ。
鈴木さんは「キブツは精神的なつながりがうまれやすい」と言っていた。共産化によって、そのつながりが強く現れるのだとか。
キブツは「大地の思想」「労働貴族」と言われており、農とのつながりが基盤になっている。肉体労働によってこそ、価値が生まれると考えられていた。農業で自立することを目的として始まったのが、このキブツである。
イスラエル
イスラエルという国は、迫害によって散らばってしまっていたユダヤ人が再び集まり、不毛の地で一から共産社会「キブツ」によって作り上げられた国である。
しかし、社会主義の国イスラエルは、第4次中東戦争によって労働党が政権を失い、資本主義に変わりつつある。現在はその過渡期でもあるようだ。
現在、イスラエルの人口は850万人。国単位で共産化を実現するのは現在において不可能なことなのだろうか。
出生率
キブツには「子どもは財産。人間は神様のもの」「子どもはキブツの子ども」という考えがある。そのため、イスラエルの街中を見渡してみると、家族連れが目立つ。生活が苦しいことや生活に余裕がないということと、子どもを生まないということがリンクしない。
イスラエルは、OECD諸国の中で出生率No.1(出生率3.11)を誇る。ユダヤ人の出生率は3.16と、平均を上回っているとのこと。この数字には、「子どもは神様が育てる」という考えがあるからではないだろうか。根本にあるのは共産社会なのだ。
「主婦」「家庭」という概念がない
具体的に、昔のキブツには「子どもの家」があったそうだ。どういうものかというと、生まれた子どもは親と離れ、一同1つの家に集まるのだ。そこで、キブツメンバーの育児担当が面倒を見るということだ。
それまでは、テント生活であったので、子どもたちのためにと大人総出で木の家を始めて作ったのが「子どもの家」である。もちろん、必要な時に親はそこに訪れる。ここから、「子どもはキブツの子ども」ということが伝わってくる。子どもの面倒は、キブツ全体で見る。
キブツには「主婦」という考えがない。洗濯はキブツの洗濯工場で行われるし、共有している施設もその担当者が掃除をする。食事もしかりである。そもそも、「家庭」という概念がないのだ。
キブツの変化と影響力
キブツにも種類があるし、その考え方も時代とともに変わってきたと鈴木さんは言う。
親が子どもとの時間を求めて子どもの家は失われ、すべてキブツで共有する場所もあれば、土地があって各家庭が分かれてある場所もある。工場を作って生産性を生み出すキブツ、学校を作り組織化して一つの政治経済を成り立たせようとするキブツ。様々である。
現在は270ものキブツコミュニティがイスラエル内に存在している。
そんなキブツの影響なのか、ウェキペディアにはこのように書かれてあった。
キブツはイスラエルの人口比率からすると考えづらいほど多くの軍指導者、知識人、政治家を輩出している。たとえば、初代首相ダヴィド・ベン=グリオン、女性首相ゴルダ・メイアなど。また、キブツの構成員がイスラエル人口の4%にもかかわらずイスラエル議会で議席の15%を占めていたこともあった。キブツの人口はイスラエル全体の7%を超えたことがない。しかし、イスラエル人にとっても、外国人にとっても、他のどのような施設にもまして、キブツはイスラエルを象徴するものとなった。(Wikipedia参照)
キブツの暮らしと教育
キブツの暮らしは、基本的に「共同生活」である。その中では必然的に人間関係に必要な「社会能力」、そして「コミュニケーション能力」が培われる。
現代で最も必要だと言われているそういった能力が、様々なものを共有する思考と、協力精神を培わせるのかもしれない。
キブツには、「個人がもっている能力を伸ばす教育」が基盤にあるとのこと。個人が持っている学ぶ意欲にフォーカスしたサポートがあったそうだ。
また、そこから能力を得て「自分が持っている能力を提供して、必要とするものをもらう」という仕組みにおいて、そのコミュニティ内で自分が貢献できることをするのだという。
それは自然なことで、それこそ本当の民主主義だよねと鈴木さんは言う。決して数字的な平等が、民主主義ではないのだ。
シェアと効率化
鈴木さんが所属していたキブツでは、週に1回集会があり、このキブツに必要なものは何かという話が繰り広げられる。キブツの必要性によって、仕事が毎日変わっていったそうだ。
お金のやり取りはなく、すべてがシェアされ、洋服さえも共有していたそうだ。基本原理である「土に触れる作業」が主な仕事であった。長期滞在者には、キブツからお小遣い(3000円)が支給されたそうだ。
そのお小遣いも、同じコミュニティでしか使えないお金だ。今は、ほとんどが給与制なようだ。
もともと農業の共同体であったキブツが工場を作り始め、効率の良い農作業のための灌漑設備(移動式の点滴灌漑)ができ、効率化も進んできた。そんなキブツの集合体は、コミュニティ内の人口が増えると2つに分けるのだとか。直接民主制を可能にするのは、それが必要とのこと。
鈴木さんの話を聞いて
キブツというコミュニティにおいて「自分が持っている能力を提供して、必要とするものをもらう」社会システムが、人間本来の身の丈にあった暮らしのように感じた。
地球規模で考えるのであれば、これが自然の原理でもあるのだと思う。「個人が持っている能力を伸ばす教育」には、そのような社会化にこそ生まれる考えが必要なのだと思った。
一つの共同体という組織の中で、自分の役割を通して社会との関係性を生み出し、それが生活に必要なものに変わっていく仕組みが、キブツという集合体にはあった。
そして、キブツには、自然と協力する仕組みが生まれる。
いうなれば、協力・共有しなければ生きていけなかったという環境が、そのようなコミュニティを構築したのかもしれない。現代は、そのようなコミュニティがなくても生きていける世の中だ。
しかし、僕はこのキブツに限らず、人々が自分の持つ能力を発揮しながら、それを必要としている人のために提供し、様々なものを共有する中で生まれる協力精神が、笑顔を生み出し「豊かな」生き方につながるのだと感じた。
鈴木さん、貴重なお話ありがとうございました!