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オーロヴィル(インド)の幼稚園が衝撃的すぎた件

 

まず、僕はオーロヴィルの幼稚園の質の高さに度肝を抜かされることとなる。これは、2018年の夏、インドのオーロヴィルに滞在した時に訪問できた2つの幼稚園についての記事である。

 

見学のきっかけ

オーロヴィルに滞在中、僕は元保育士なのでインドの保育園にも興味があった。

保育園(nursery)と書かれた看板があったのでバイクを走らせて行ってみると、壁もないむき出し小屋が一軒あった。そこには地べたに寝そべっている数名の婦人方がいた。

保育園はどこ?と聞くと「ここよ。」と…。インドでは、保育園は乳児のみを短時間で預かる簡易的な場所として捉えられているようで、その日は預けに来る人がいなかったのだろう、だから地べたに寝ていたのだろうと勝手に解釈をした。

オーロヴィル内には幼稚園が数園あった。各園敷地も広く、園庭には様々な遊具や砂場があった。ここまできたら内部の環境も見てみたいと思い、現在お世話になっているBuddGardenのラジャンにすると、「明日息子が行っている幼稚園に聞いてみるよ」と。

次の日、ラジャンと一緒に幼稚園に行くと園長先生を紹介され、ぜひ見学がしたいと申し出ると「今日は今から会議だから明日ならいいわよ!」と快諾してくれた。とても親しみやすい園長先生だった。

左から:リーさん・園長先生・僕

※リーさんとはオーロヴィルでたまたま出会い、「私もオーロヴィルの幼稚園を見てみたい」と言ってくれ無償で通訳をしてくれた。在日韓国人のリーさんは、オーロヴィルで文化やヒンディー語を学んだり、韓国と日本をつなげるたくさんの活動をしている。歳を重ねても、好奇心に素直なリーさんがかっこよかった。

ナンサナムスクール

見学当日。

園児が帰宅する13:30に園を訪れると、園長先生が出迎えてくれた。

「ようこそナンサナムスクールへ!」

そう言って彼女は笑顔で園舎に向かい入れてくれた。そして、1つ1つの部屋を丁寧に案内してくれた。他国の見ず知らずの人に、こんなにも親切にできる懐の深さに感動した。

僕が見学した「ナンサナムスクール」のナンサナムとは、ヒンドゥー教の神さまの1人“クリシュナー”の「遊び場」を意味する。

そこには計60人の子どもたちが通っていて、1クラスは16人以下。クラスは全部で4つ。子どもの人数に比べ、先生の人数が多い印象だ。もちろん、シフトの関係もあるだろうが、職場環境にゆとりがあることが感じられる。

クラス

「水組」 2歳半〜3歳半(子ども:16人 先生:3人)

「土組」 3歳半〜4歳半(子ども:9人  先生:2人)

「風組」 4歳半〜5歳半(子ども:15人 先生:3人)

「火組」 5歳半〜6歳半(子ども:15人 先生:3人)

 

1日の流れ

8:15  開園

自由活動

9:00  クラス活動

10:00 自由活動

12:15 昼食

13:00 降園

 

水組(2歳半〜3歳半)

2歳半〜3歳半の水組だけは、その他のクラスとは異なる場所にあった。異なると言っても隣なのだが、この時期にはより丁寧に関わる必要があるとのことで、そうしているようだ。

水組の園舎

メインの部屋。中央でお集まりをする。自分でクッションを持ってきて座る。

文字・数・パズルなど。

 

ごっこ遊び。

くつろぎスペース。

製作スペース。

小麦粉粘土。

綿棒でお絵描き。

豊富な製作材料。

 

ブロック。

子どもの高さにある黒板。ここで自由にお絵描き。

食事スペース。

園庭。

木から吊り下げられた小さな地球儀。

まず、環境の豊かさに驚いた。個人的には、絵本の空間と同じ場所にあるくつろぎスペースに感動した。子どものやりたいことに向き合っているからこそ、用意できる環境であると感じた。玩具も、写真には写ってないのだが、遊びながら文字や数、そして自然に触れられるようなものがたくさんあった。

 

土(3歳半〜4歳半)・風(4歳半〜5歳半)・火(5歳半〜6歳半)

土組から隣の建物に移動して、クラス活動の時間以外は3クラス合同の保育となる。もちろん、どの部屋に行っても良いことになっている。

玄関。

クラス表。

今月の誕生児。職員も含む。

玄関を抜けると、多くの緑に囲まれた中庭が目に飛び込んでくる。

 

(今後の写真は土→風→火の順で並べていく)

3歳半〜4歳半の部屋

 

2歳半〜3歳半の部屋のように、文字や数、パズルや自然物、絵本やくつろぎスペースなどが用意されていた。

 

自然物を使った製作。

自然物をつなげていく。

ごっこ遊び。

 

廊下という表現は正しくないのかもしれないが、半屋外の場所にも多くの環境が用意されていた。

半屋外スペース。パズルやボードゲーム、ブロックなどがあった。

 

9時からはクラス活動の時間なのだが、その子どもが何かに熱中していたら子どもに合わせるそうだ。

「その子にとってはその学びのほうが大切」と語っていた。

この言葉を聞くと、どうしても協調性や集団行動が取れなくなるのではという疑問が浮かぶのだが、今の時期に集まれたからといって将来協調性や集団行動が取れるとは限らない。むしろ、自分の欲求に満足できて初めて、他者からの意見を受け入れられるはずだ。(大人も同じだと思う。)

保育者は、集団行動が取れない子どもがいるとどうしても不安になる。もう不安に思う必要もないんだと思う。もちろん、必要な情報は別の形で伝える必要はあるのだが、教育の最終目標でもある「幸せに生きていくための方法を自分で見つける」ためには何が必要かを考えると答えは自然と見えてくる。

子どもは、必要なものを自分で選ぶ力を持っている。

 

4歳半〜6歳半。登園してきたら自分のマグネット動かす。同時に出席表となる。

カードゲームが多くなる。

製作道具。

生活の中に数や文字が散りばめられている。

1日の流れを視覚化したもの。

文字

絵本と

くつろぎ

複数で遊ぶボードゲームもここから多くなってきた印象。

自然科学スペースも。

自分で洗濯もできる環境も。

 

洗濯場など、面白い環境多かった。

また、絵本棚全てを2週間ごとに入れ替えているそうだ。もちろん、お気に入りの本などは先生に交渉して出してもらうそうだが、2週間という単位で総入れ替えすることで、絵本に対する新鮮味は増すだろうし、興味関心を駆り立てる1つの工夫だなと思った。

そのため、職員室にはたくさんの絵本がストックされていた。

 

この幼稚園には「アルノ・スターン」という芸術家が生み出した絵画教育法環境(クローリエ)があり、18色の絵の具と18本の筆と18個の水の入った容器が部屋の中央に並べられていた。

縦にも広げられる。

 

保育者は「筆を立てて使うこと」「絵の具に混ぜるのは少量の水」であることのみを伝え、その以外は自由だ。何を描けば良いか、どんな色を使ったら良いかは言わず、褒めることもしない。ただ、思い通りのものが描けたのか、満足できたのかを聞くだけだそうだ。

日本人を代表してあの質問をぶつけてみた。

「紙を無駄にしませんか?」

すると、「この環境ではどんな絵でも良い。誰かにとってそれが無駄でも、その子にとっては無駄ではない。」とかえってきた。

これまでは短期的なスパンでしか物事を見ていなかったが、長期的なスパンで考えてみると無駄ではなく、むしろ素直な自己表現ができる上にエコロジーにもつながる印象さえその言葉からは感じた。

絵画活動をする時、どうしてもネックになる準備と片付け、そして変な後ろめたさという壁をなくしたその環境は、子どもにとっても保育者にとっても素敵な環境だと思った。

 

そして、この園にはモンテッソーリとシュタイナーの部屋もあった。良いものは何でも取り入れようとする姿が伝わってくる。その部屋は週に2日、開けられるという。

子どもたちの好奇心を大いに刺激している様子が彼女の語り口調からも伝わってきた。

そして、彼女は「私はここのボスだけど、そんな関係性はここにはないわ。縦じゃなく横の関係ね」と語る。その姿から、クリエイティブで平和的な環境を構築するリーダーの役割というものが見えた気がした。

「各々言いたい意見を言う、声を上げること大事だと思うの。」

そんなことができる環境から主体性ややりがいが生まれていくのだろう。その影響なのか園の先生たちは新しい価値観を受け入れることを楽しみと感じている。毎年夏休みにあるアメリカへの海外研修にも積極的なんだとか。

その研修はなんと2ヶ月間。日本ではよく数時間のみの見学という海外研修が多い中、2ヶ月という時間を要して体験として自分の身に落とし込むのはとても効果的だと思った。

聞くことよりも、見てみること。見てみることよりもやってみること。どちらか1つというわけでもなく、様々な形をとることで学びが深まるイメージだ。何よりも楽しそうだ。その研修は、アメリカから招待されているとのこと。子どものための教育が国を超えるのは当たり前なのだろう。

オーロヴィルという環境の影響で、多い時には20か国くらいの子どもたちが通ってくる。中国人の先生もいる。

園内は英語だが、歌や文化は積極的にその子の国のものを取り入れているとのこと。この中で感じる多くの刺激は、子どもたちにとっても、そして先生たちにとって魅力の1つになっていた。

水を入れてプールにする。ここは部屋の中という衝撃。

カレンダー

ロッカー

連絡帳

キッチン

食事スペース。鳥がこないような囲い。

緑の屋根。

ちょっとした環境もおしゃれ。

 

彼女たちは、自分たちの仕事に誇りを持ち、何よりも子どもたちを愛していた。それは、話の随所に出てくる「子どもってほんと興味深くて不思議で毎日驚かされるの!」「子どもが大好き!」という言葉から感じることができた。

なんとなく、日本の「子どもが好き」とは異なる気がした。

僕は保育士でありながら、子どもと直接関わるのは苦手であった。苦手というと語弊があるかもしれないが、子どもたちを通して人間の限りない魅力に翻弄されるのがとても心地よかった。

というのも、僕がその子どもの世界に介入することで、その世界が変わってしまう恐怖の方が勝っていたのかもしれない。(今に至っては、僕の存在によって変化を与えたくらいでは子どもにとってどうってことないほどの力強さを持っていると理解した・・。)

そのくらい、子どもを見ているとたくさんの“理解できないこと”に出会い、それが不思議で面白かった。

僕は、「個性」というのはその“理解できないこと”から始まると思っている。保育をしているとたくさんの「えっ!?何しているの??」に出会う。そんな時がその子を理解するチャンスなのだと気付いたのはここ最近である。

自分の物差しでは計れない別次元との出会いが、保育士という仕事の魅力でもあるのだろう。

砂場

園庭

 

この園は2人の建築家によって設計された。というのも、昔あった園舎に新しく増築される方法によって現在の形となった。

今ある問題としては「お金」だそうだ。オーロヴィルの役所からの補助によって運営されているが、そのやりくりが年々難しくなっているとのこと。きっと、保育士の給与も高くないであろう。どこもお金の問題はシビアなようだ。

そして、この園はオーロヴィルにあるということもあり、同時にエコロジーにも関心を示しており、園内にプラスチック製品をなそうとするプロジェクトをしようとしたり、自然環境に近い保育を心がけていた。

暑いでしょ?と言って職員がお水を持ってきてくれた。多分園長先生の指示ではない。

 

保育理念には、オーロヴィル創設者でもあるマザーの言葉が使われていた。

マザーは、別に「エデュケーション」という本も残しているようで、主にそれがここの教科書として使用されているようである。これらの言葉は日々の保育で繰り返し使われているとのこと。

最後に彼女は、「子どもってひとりひとり違うから本当素敵。毎年違うの。今年の子どもにあった接し方を見つけなきゃね。そして絶えず驚かされている。子どもたちを信じているし、私たちはそれを見守っているの。本当に子どもが好き。」と語る。

そして、「今度来るときにはボランティアとして受け入れますよ。1ヶ月でも1年でも大丈夫です。ぜひ来てください!そしてあなたの園にも招待してください。お互いに学び合いましょう!」と言っていた。熱いな。

何かを発見して共に学び合い、子どもを尊敬して、自分の夢を見続けながら、応援しあって信じて見守る。そんな姿勢を学んだ。そしてそんな姿をこの「ナンサナムスクール」は目指していた。

 

まさかインドという地で、このような保育環境に出会えるとは思ってもいなかった。もちろん、これはオーロヴィルというものが作り出した環境でもある。

皆で共有して協力して多様な存在を受け入れていく過程があるからこそだと思う。数年後には、インドは世界1の人口を誇る国になるとのことだが、このような人口増大に比例して人々が放つエネルギーや勢いというものをこの幼稚園からも感じられた。

 

お礼に絵本と日本から持ってきた独楽を渡す。

感謝です。

 

もう1つの園 モハナムスクール

僕は、ナンサナムスクールとは正反対な園にも訪れる機会に恵まれた。

今回、通訳として僕に協力してくれたリーさん。

そのリーさんが滞在しているゲストハウスのオーナーが、実は幼稚園も経営しているとこことで、その園ともコンタクトが取れた。

その園の名前は「モハナムスクール」。オーロヴィルの中心地から離れ、村はずれにあった。

理念

 

オーロヴィルからの補助金がおりず、少量の保育料とほとんどが寄付によって運営されている場所だ。

その経営者は現在38歳。貧困村の子どもたちにとって教育が大事だと気づき、20歳という若さでこの園を立ち上げた人だ。

38歳とは思えない・・

 

2歳〜6歳の子どもたち約60人を、4人の先生と2人の調理士のみで見ている。園舎は伝統的な作りのままで、ところどころ修復しながら維持しているものの、お世辞にも良い環境だとは言えなかった。

 

4畳ほどの部屋。お絵描きなどをするのだろう。

昼寝をしたりくつろぐ場所。

職員室

キッチン

屋外でも調理は行われる。

 

この園があること自体、村にとって子どもたちにとってはありがたいことなのだ。運営は毎年赤字。別の事業の運営資金をここに回すことでなんとか成り立っているとのこと。

 

他にも3つの団体に携わっている彼には、ひっきりなしに電話がかかってきていた。座骨神経痛を患い、座ることにも痛みを伴う彼の体は、僕からは限界を超えているように見えた。

 

 

忙しすぎて、大きな病院にも行けていないとのこと。睡眠時間も数時間。そこまでする必要があるのかという言葉が出かかったが、教育という偉大なカテゴリーには、多くを語ることができない何かによって強く突き動かされていたり、同時に支えられていることもあると理解した。

だから、彼の寛大さと心意気に何度も驚かされると同時に、不思議と胸が締め付けられた。そして、世界にはきっとこのような園がたくさんあるはずだ。その時、僕ができることといえば、将来携わる園をより良くしたいという感情を抱くことだけだった。

 

 

 

彼は良くこう言っていた。

「私には夢があるからね!」

これは本心でもあるし、きっとこの環境を選択した自分を鼓舞する言葉でもあるのかもしれない。その夢の達成と、そして何より、彼の健康を強く願うばかりだ。インドにも働きすぎな人はいるのだ。

 

彼の夢には間違いなく、仲間が足りない。

それを、彼が1番理解しているのが辛かった。

 

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