僕はインドのエコヴィレッジ「オーロヴィル」に1か月間滞在した。その内、2つのコミュニティで実際に暮らしを体験した。その1つが『サダナフォレスト(Sadhana Forest)』である(以下サダナ)。サダナは、インドだけでなく、ケニアやハイチでも活動している。
サダナは特別な場所である。オーロヴィルであってオーロヴィルでない。というのは、オーロヴィルの敷から少しだけ飛び出ているからである。そのくらいの距離にあるサダナの存在を、どのように知ったかというと、オーロヴィルに数年滞在していた小川美農里さんに直接コンタクトをとらせて頂いたからだ。
美農里さんは現在、福島の西会津で「Dana Village」という健康回復と自分発見をテーマにした、体験型の宿泊施設を運営している。私も、いつか訪れたい場所の1つだ。
そんな美野里さんに、僕のテーマを伝えると「Sadhana Forestはエコロジカルですよ〜!」という返答が。そこで、サダナに行くため、勢いのままオーロヴィルを訪れることにしたのであった。
まず、オーロヴィル内のゲストハウスに1泊だけ予約をしていた。その宿のオーナーが非常に親切な人で、僕が「ATMに行きたい」「SIMカードが買いたい」「バイクを借りたい」などというと、バイクで近くの商店街に連れて行ってくれた。そして、そのオーナーに電話を借り、サダナにアポをとる。
僕 「…そこでボランティアがしたいのですが可能ですか?」
サダナ「可能ですよ。私たちはいつでも誰でも受け入れることができます。」
僕 「何時に行けばいいですか?」
サダナ「いつでも!」
…軽っ!!
ということで、ほんの数10秒で僕のサダナ滞在が決定した。
夢見たオーロヴィル、そしてコミュニティへの参加が決まって心が躍っていたのだろう。今日泊まる宿のコンセントが屋外にしかないことなんて特に気にならなかった。
【補足】
SIMカード 1か月で約300ルピー(約480円)
レンタルバイク 1か月で約2400ルピー(約3800円)
サダナフォレストへ!
レンタルバイクでサダナに向かう。道路は牛が優先を獲得している。道路のど真ん中で寝そべっていることはざらにある。そんな牛を避けながら、既存の村を数個通り抜け、オーロヴィル内をつき走る。次第に建物がなくなり、辺りが肌けた黄土色の土地に変わってきたことが、サダナに近づいていることを予感させた。
そんな道を進んでいくと、オアシスのような森が見えた。ここがサダナだ。サダナに着くと、枝を折る作業をしていたグループの1人に「Welcom!」と言われ、さっそくフォレスト内を案内してくれた。その時は、スタッフだと思っていたのだがボランティアの1人であると後で知った。
このように、ボランティアがボランティアを受け入れ、ボランティアだけで運営しているのも、ここ「サダナフォレスト」の特徴だ。スタッフと呼べるのは、このサダナを立ち上げた1人と在中している警備員さんの2人だけ。その他はすべてボランティア。
立ち上げた人も、海外に足を運んでこのサダナの取り組みを講演し、ドネーションを募っているので、僕の滞在中もほとんどいなかった。長期ボランティア滞在している人が、お金の管理やまとめ役をしていた。
【補足】
サダナフォレストボランティア 1泊 500ルピー(約790円)
ボランティアといっても、ここではお金を払ってボランティアをする。もはやボランティアの枠を超えているように思うのだが、年間千人以上がここを訪れ、エコロジカルな暮らしを体験しにくる。僕の滞在中は、約50人のボランティアがいた。時期によっては100人ものボランティアがいることも。
滞在は基本2週間〜。長い人で、もう5年になるという人もいた。僕は、ここ「サダナフォレスト」で、2018年6月20日〜7月4日までの2週間のエコロジカルな暮らしを体験した。
サダナフォレストとは
サダナフォレストとは、植林活動や節水を主体とした環境の再生と持続可能性な生活を実践することを目的とした国際ボランティアコミュニティである。「Seva(セヴァ)」といわれる、報酬や見返りを求めない活動によって成り立っている。
Seveは「セルフサービス」を意味するサンスクリット語。古代インドでは、Sevaは霊的成長を助け、同時にコミュニティの改善に貢献すると信じられている。本質的に「Sevaは私たちが世界に与えている贈り物」という考え方がある。
つまり、このSevaがボランティア活動ということだ。
無償であり見返りを求めないというのがボランティアの本質であることを改めて感じる。
サダナフォレストの朝
夢の中で誰かが演奏している。何の楽器で何のジャンルかはわからないが、徐々にその音が近づいてくるのがわかる。ゆっくりと、ゆっくりと。それが僕のそばまで来た時、目が覚めた。起き上がると、誰かが楽器を弾きながら歩いている。こんなにも夢と現実が途切れることなく繋がった経験は初めてだった。モーニングコールならぬモーニングニュージックを演奏してフォレスト内をねり歩くというのがサダナ流であった。そしてサダナの日々は始まる。
サダナの朝は早かった。
モーニングサークル
全員で円を作って、ストレッチを始める。その後、「Have a nice day!」などと言いながらみんなとハグをする。日本人であれば少なからず抵抗があるハグ文化。しかし、ここは外国だ。郷に行けば郷に従おう、という勢いで僕もハグをする。不思議と、ハグの仕方や強さなどでその人の性格や様子が伝わってくる。肌と肌を触れ合わせるだけで、こんなにも気持ちが伝わってくるものなのか。
その後、今日の「Seva(無償の活動)」へと各々移っていく。日曜の夕食後に行われる全体ミーティグで1週間の役割(Seva)を決めているので、その場は確認するだけだった。
Sevaの時間と内容
時間
1st Seva: 6:05AM–8:15AM その後朝食
2nd Seva: 9:30AM–12:00PM その後昼食
内容
このように、1日に2回行われるSevaの種類は多く、驚くほどマニュアル化されている。これが、ボランティアが頻繁に入れ替わってもうまく回っていく仕組みの1つであった。種類が多いということは、自分に合った活動が選べるということであり、得意なことで貢献できるということだ。
また、各Sevaには必ずマネージャーと呼ばれるその場を仕切る人をおく。マネージャーと聞くと、長期ボランティアがするイメージを持ってしまうが、昨日その作業をしていれば、明日はマネージャーになれるくらいラフであり、マネージャー用のマニュアルブック(何をすれば良いかが書かれている本)もあるので、いつでも誰でもマネージャーになることができる。
マネージャーは、知っている人がやるというよりも、同じSevaの中にいる異なった役割の人といった感じだ。例えば、8人で植林活動のためのバケツリレーをする際、ため池から水を汲む人・それを運ぶ人・苗木に水やりする人がいるとする。それらが機能的になるように、人が立つ場所を柔軟に変えたり、バケツの個数を調整したりする役割である。
ここでボランティアをして感じたのは、各々が主体的にここ「サダナ」に、そして「地球」に貢献しようとしている姿勢であった。見返りを求めない無償の活動という前提があると、自分のペースで活動をすることができる。自分が今どのような状態で何をしたいのかがはっきりしている状態ということだろうか。そのような境地に行くと、人はイキイキとする。
基本的なSevaは午前中に終わるため、昼食後や夕食後には曜日ごとに様々な催しものがあった。
いくつか紹介していきたい。
シェアサークル
中央に植木を起き、その周りに集まる。自分のことをとにかくシャアする場。話す内容は何でもいい。話し手は最初に自分の名前を言ってから話し始める。どんな言語でも、どんな話し方でもいい。聞き手は黙って最後まで聞き、最後には「Thank you」と言う。
気持ちを言葉にのせる。自分が考えていることを再確認する。どう伝わるかなではなく、自分で自分にシェアする感じ。そこに同じ仲間がいることで、相乗効果が生まれ、ひとりではないことが優しく伝わってくる。そんな時間であった。
Open Stage
簡単にいうと何でもありなステージ。1人でもいいし、複数でもいい。楽器を弾いてもいいし、歌を歌ってもいい。数秒でもいいし、5分でもいい。とにかく、自分が好きなことを自由にみんなの前で表現する。
極端なことをいうと、ステージに出て「何もしない」を表現することさえ歓迎される時間だ。ぐっだぐだなやり取りも、意味がわからなくても、すべてをは受け入れられる。もちろん強制ではないので、ただみんなが表現しているのを楽しく見ていることもできる。
自国の歌をアカペラで歌ったり、パートナーと組体操をしたり、司会者になって客を盛り上げるようなゲームをさせたり、瞑想を披露したり、アメリカンジョークを1つ言って終える人もいた。
僕はというと、どうせなら日本の文化を感じてもらいたいと思い、持参してきた浴衣をその場で試着するというパフォーマンスをした。僕は一言も発しなかったが、「すごいねー!」と片言の日本語で感想を言われたのは嬉しかった。
そして衝撃的だったパフォーマンスもある。欧米人の女性3人組が髪を結んでステージに出てきた。すると急にピクニックの劇を始めた。台本はないことが様子から伝わってくる。ご飯を食べようとするのだが、その中の1人が頭がかゆいと言い出す。どうしたの?という感じに他の2人が頭をのぞきこむと「シラミ」を発見する。
ぎゃー!と大騒ぎをする。そのシラミがいたという設定の女性は、冷静さを取り戻して開き直る。次の瞬間、ばっさばっさと自分の髪を本当にハサミで切り出した。観客はどよめくが、彼女らは楽しんでいる。すると、今度は別の女性もなんだか私もかゆい…と言い出す。
この展開は…と思った途端、その女性も自分で髪を切り始めた。ここまできたら当然のように、もう1人の女性も髪を切ってしまう。…というパフォーマンスであった。正直、身を削りすぎだろうと思ったが、女性の短髪という髪型は1つのファッションにすぎないことが彼女たちから感じられた。次の日から、サダナには坊主が3人増えた。
絶対周りから批判されず、自分がしたいことができるとしたら、あなたは何をしますか?
この感覚は、ここサダナの暮らしそのものだなぁと思った。
つづく…