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『何もなくて豊かな島』カオハガン島に1泊2日して感じた【誇りと課題】

嘉恵さま

2日間という短い間でしたが、いつも優しく笑顔で対応してくれる嘉恵さんのおかげで、とても充実した2日間となりました。

夜な夜な学生と語り合った時間、キッズたちとのバスケットやフィッシング、島民の方にお願いして家の中を見学できたこと、そして崎山さんの考えに触れられたこと、すべてがこれからの僕にとっての指針になるような、そんな体験になりました。

僕が一番印象に残ったのが「CAOHAGAN-PRIED」です。島の人たち(私が話せた方々)はみな、この島に誇りとありがたみ(恵み)を感じていることが強く伝わってきました。同時に、自分が生まれた地を愛し、そして感謝できる人たちが育つ環境って、突き詰めるとどんな環境になるんだろうという課題も見えてきました。

そして、僕のもうひとつのテーマである「PASS THE BATON」にも非常につながり、次世代に残さなくてはいけない大切なことがより明確にもなりました。

僕の好きな言葉に「吾唯足るを知る(われただたるをしる)」という言葉があります。まさにカオハガンはそんな島でした。しかし、時代の流れと共に島民の方々の生活も変化しているとのこと。今後のカオハガン島の動向にも注目して、自分の夢でもある地域密着型の「ただたる村」のコミュニティ構想を深めていきたいと思っています。

撮影中だったため、崎山さんに帰りの挨拶が出来なかったのが心残りです。。どうぞよろしくお伝えください。

2日間楽しかったです。お世話なりました。ありがとうございました!

では、またカオハガンでお会いできる日を楽しみにしています!

小松崎高司

 

カオハガン島 母屋

 

2018年6月2日〜3日、僕はフィリピンのカオハガン島にいた。滞在を終えて宿に戻ってきた3日の夜、滞在中お世話になった嘉恵さん宛に上記のメールを送っていた。

肌がカオハガン島の風を忘れないうちに文字におこす必要があったのは、この経験が未来に直結してくることを無意識に感じ取り、この感情を自分自身に染み込ませる一種の儀式みたいな要素があったからかもしれない。

 

 

1泊2日のカオハガン島滞在にかかる費用は決して安くない。しかし、日本からのスタディーツアーや観光客が後を絶たないのは、この島のオーナーである崎山克彦さんの著書『何もなくて豊かな島』というベストセラーになった本の影響が関係しているのだろう。文庫本にもなっているその本を読んでこの島を訪れたいと思う人は多く、僕もそのうちの1人であった。

 

泊まった竹でできたロッジ

窓の外は海

夜はランタンで部屋を照らす

 

嘉恵さんは、この島に嫁いだ日本人女性であり、現在は崎山さんから引き継ぎを受けながら島のマネージャーとして活躍されている方である。

やわらかな表情と裏表のない芯のある素顔が笑顔みたいな方であった。ちょうど僕が滞在していた時、関西TVの撮影が入っていて、その対応に追われていながらも、1人で滞在している僕にも気を配ってくださった。

 

 

島には多くの日本人ボランティアがいる。その島に惚れ込み、無償で島の整備を手伝っている方々だ。そのボランティアの1人がこう言っていた。

 

「僕はこの島が大好きだからこうやって手伝っているけど、最近は嘉恵ちゃんのことを考える。彼女はここに骨をうずめる覚悟で来ている。その島をもっとよくしたいと思っているんだ。」

 

 

島の魅力にとりつかれて何度も訪れる方々は、どこかそこにいる人の魅力にとりつかれることで、長期的な関わりへと繋がっていくのかもしない。嘉恵さんと同じように、この島に嫁いだもう1人の祐子さんという方も、きっとこのように人を惹きつけるような方なのだろうと想像ができた。

 

 

僕が滞在中に楽しみにしていたのは、島内をヒーナイヒーナイ(ゆっくりゆっくり)散歩することと、その島に住んでいる日本人の方々との食事タイムであった。やはり、日本語での会話は安心するし、より深い話を聞くことができる。

 

 

崎山さんは正直な方であった。

崎山さんは、口数が少ない頑固で愚直な方といった印象だ。また、古き良き時代の近所にいたおじいさんを彷彿とさせる。近所の子どもを平気で叱りつけ、正しさや真理を自分の背中で語り、初めはとっつきにくいが人間味溢れる言動が次第に人を惹きつけていくような魅力を持った方であった。これは僕が個人的に感じたことであって、少々失礼な言い方にもなっているかもしれない。だが、僕は崎山さんを尊敬している。それは間違いない。

魅力は尊敬を生む。

 

カオハガン島付近のサンゴ礁保護区

 

CAOHAGAN-PRIED

この言葉は僕が勝手に作ってしまったのだが、カオハガン島にはこの「CAOHAGAN-PRIED」が存在していた。日本でいうところの「郷土愛」みたいなものであろうか。若者の地方離れによる過疎化が問題になっている日本との違いの1つとして、若者がこの島民であることに誇りを持っているということだ。

 

滞在した夜、海辺を歩いていると中学生くらいの男女が楽しそうに会話をしていた。海辺の写真を撮っていた旅行者である僕に興味を示した1人の女子が話しかけてきた。そこから数時間、お互いの顔の輪郭すらわからないほどの暗闇の中、この島や将来についてなど、多くを話すことができた。

 

 

皆が口々に言っていたのが、「私はこの島が大好き」ということだ。その理由を聞いてみた。

 

「私はここで生まれ、ここに大好きな家族がいるから。」

「ここには海があって食べるものもたくさんある。」

「友達もいて毎日が楽しい。」

 

現在では増えてきているようだが、住民の家にはTVがない家庭がほとんどだ。1日の半分を生きるための食料確保と生活に必要な時間にあて、半分を家族や友人とのヒーナイヒーナイ(ゆっくりゆっくり)した時間にあてる。

 

 

若者たちのこの言葉を聞いて初めて、「何もなくて豊かな島」の本質が感じられた気がした。

 

多分、学生が感じていた島の魅力はきっと別の島にも存在する。しかし、それに自ら気づき素直に感じて表現できる文化や風土というものはなかなかないように思う。この島に根付いているこういった「PRIDE」が、きっと魅力の1つであるのだ。

 

東京ドーム1個分の大きさで、20分で1周できるこのカオハガン島。この島を散歩してみよう。

 

有るもので作る

 

早朝。

海岸沿いを歩いていると、兄弟と思われる2人とその友達みたいな3人組が、足首ほどの深さの海辺を海中をのぞき込むような姿勢で歩いていた。きっと5歳〜7歳くらいだと思う。釣り糸を巻きつけたペットボトルを持ち、岩場に張り付いていた貝を起用に石で割り、中の貝を釣り針に括り、それを海中に垂らす。

すると、その貝に5㎝ほどの魚が食いつく。その瞬間に糸を勢いよく引き上げ、魚が上まで飛び出てくる。その瞬間、両手でその魚をキャッチするというわけだ。捕まえた魚は、そのペットボトルの中に入れる。その魚はどうするの?と聞いてみと、「朝ごはんだ」という。

 

 

ある時、弟が捕まえた魚を取り逃がしてしまった。するとその兄がその弟の頭をペットボトルで勢いよく叩いた。弟は、何事もなく作業を続けていたが、気分は良いものではない雰囲気が伝わってくる。

すると、兄の友達がその子の肩に手を置きながらそり沿い、声をかけていた。慰めているのであろう。そしてその友達は、わかりやすいようにコツを伝えていた。弟は次第に調子を取り戻し、兄も「やるじゃないか」といったように、笑顔をその子に向けていた。

 

その一連のやりとりがなんとも微笑ましく、兄弟や地域とのつながり、そして生きる術が生活の中にごく自然と残っていることを感じた。兄が僕にも「やってみる?」と声をかけてくれ、挑戦してみた。魚はすばしっこいが、岩陰に隠れる習性がある。その岩の周りに糸を垂らし、食いつくのを待つのだ。

 

やってみると難しいが楽しい。魚は針に食いつくというより、貝に噛み付いているといった感じ。ザリガニ釣りを思い出した。ただ、その記憶との違いはその後に食べるという行為と、生活の一部であるということだ。

 

子どもの昼寝と洗濯している親父

 

島には多くの闘鶏用の鶏が飼われていた。

 

島の居住区に行ってみると、教会やバスケットコート、学校(幼稚園と小学校)などもあった。住民はみな親切である。

 

幼稚園

小学校

 

日本人の僕に対して好意を持って接してくれる度に、オーナーである崎山さんの人望と信頼がひしひしと伝わってくる。家の中を見てもいいかという不躾な質問をしても、快く中に招いてくれた。

 

 

崎山さんの著書『何もなくて豊かな島』の中にこんなジョークがある。

太平洋の小島に金持ちがヨットでやってきた。島民が「お金があっていいなあ」というと、金持ちは「冗談じゃない。私は一生懸命働いて、お金を貯め、やっと休暇をとって南の島にやってきたのだ。あなたたちは初めからここに住んでいるじゃないか。」

 

 

人間の幸福の尺度は次の方程式で測れるという。

 

幸福 = 財 /   欲望

 

人間の欲望は泉のごとく湧き出てくる。その欲望を抑えるのではなく、欲望や財産の種類を変えたりするという選択肢もあるということを、僕はカオハガン島で感じた。

 

 

そして今、カオハガン島は分岐点に立たされているという。

 

 

毎日、カオハガ島には多くの観光客が訪れる。アイランドホッピングというやつだ。その観光客目当てに、当然のようにお土産や新鮮な海産物を焼いて提供する食堂が活気を帯びている。

 

しかし、崎山さん曰く、その土産の品や海産物は自ら採ってきたものではなく、隣の島などで買ってきたものを少し高い値段で売るという商売に変わってきているとのこと。

 

 

もちろん、早朝に自ら採ってきた海産物を売っている住人もいる。そして、観光客目当てに商売をすること自体、崎山さんは反対であるとはっきり言っていた。

 

 

「何もしなれば(昔のカオハガン島であれば)一周回って時代の最先端になるのに、今は状況が変わってきている。まさに日本のような道をたどりつつある」と。

 

 

昔は、海という恵みから自分たちが生活できるだけの量をもらい、その恵みに感謝しながら身の丈にあった暮らしをしていたが、少しずつであるが資本主義の波が来ているとこと。その分岐点にカオハガン島はいる。

 

 

だから、このカオハガン島の動向が、これからの日本における地域やコミュニティの重要な部分を指し示してくれるように感じた。豊かさの原点と資本社会とのつながりが示すものとは。そのバランスの取り方とは。次世代に何を残すべきなのか。

 

電気も水道もないカオハガン島は、それを教えてくれる島なのかもしれない。

 

 

カオハガン島オフィシャルサイトはこちら

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