設楽さんの奥さんが、地域の方から「パーマカルチャーっていったい何?」という問い合わせを受けたことをきっかけに、ここ藤野での講座を計画したのだとか。僕の滞在中、ちょうどその講座があって参加することができた。ざっくりとだが、その内容を記載しようと思う。
「パーマカルチャーっていったい何?」という講座に参加して
まず率直に、設楽さんの話が本当に面白かった。何が面白かったかというと、百姓という言葉の意味や、里山の絶妙な位置関係、そして、日本の伝統的な生活の姿が、実に理にかなっていたことだったかがわかったからだ。
まず、パーマカルチャーセンタージャパン(PCCJ)滞在記①でも記載した、基本となる部分の説明をしつつ、設楽さんの専門でもあった人類学の視点から話は進んだ。
人類学とパーマカルチャー
穀物を食べない狩猟採集民族であった人類が1万5000年前から農耕をはじめ、定住し、財産を獲得し、格差が生まれた。奇しくも農が格差を招くきっかけともなったとか。
狩猟採集民族の自然を読む力はすごいものがあると、設楽さんは力説する。パーマカルチャーを生み出したビル・モリソンは去年亡くなったそうだ。彼は、40歳まで狩猟採集をしていた。その経験からパーマカルチャーの考えにいたったという。
サスティナブル
そこには、サスティナブル(環境破壊せずに持続・継続可能)であることが大切である。46億年前、地球が誕生し、38億年前に生物が生まれ、進化し、地球環境をデザインしてきた。生物自らが作り上げてきた地球だ。
当時、二酸化炭素は98%であったが、生物の光合成によって現在は0.04%だそうだ。生物は光合成で酸素と炭水化物を作るのだと、設楽さんはすらすらとホワイトボードに「CO2+H2O→O2+C6H12O」と化学式を書いていた。その化学式の意味はわかなくとも、博学さだけは一瞬で理解できた。
日本の伝統的な生活様式がすごかった!
日本でも、糞尿を肥料として使用していた例があり、実際に尿には、作物の成長に必要な三大栄養素の一つでもある「窒素」が多く含まれている。コンポストトイレというのは、人間の糞尿を肥料にするためのシステムだ。
昨今では絶滅危惧種でもある和式トイレは、大腸を圧迫して出しこぼしのない理にかなった形のようで、大腸ガンを予防するのだとか。
また、人間が関わることによって自然が豊かになった言葉がある。
それが、「里山」である。まさに古来の日本は里山文化であった。自然界でもない人間界でもない、言わば「半自然」な位置付けの里山は、自然との共生の領域であり、バランスの取れたエコロジカルデザインであった。
昔の生活に戻ることは不可能だと思う。しかし、先人たちの知恵と受け継がれてきた大切なものを見直すことは、次世代への贈り物として必要不可欠であると感じた。
古来の住居というのはその土地の木材を切り出し、土壁、茅葺屋根、室(自然冷蔵庫)等、朽ちたら元に戻るだけ。まさに地産地消の家であり、時代を超えて価値を生むものを生活に取り入れて使うことの面白さを設楽さんは語る。
本当の「多様性」とは?
果樹があることで鳥が来て、その鳥が虫を食べ、自然と必要な量を残して人間の恵みとなる。本来の生態系とは、助け合いなのだ。なんでもあれば「多様性」ということではない。それぞれの個性が生かされ、相互に関連し合って初めて「多様性」となる。
この「多様性」の意味は心に響いた。コミュニティを形成する上で重要視されるところだろう。
百姓の意味
また、非常に印象に残った話が「百姓」についてだ。
「百姓」という言葉を聞いて何を想像するだろうか。
現代では「農業に従事する人」といった意味で浸透しているが、そもそも百姓とは、「百人の姓を持つものたち」、つまり、一般市民全員を表す言葉だ。古来の百姓は、別の仕事(医師・商人・左官・大工等)を兼用していて、町で必要とされる仕事をこなしていた大勢の人々のことであった。
現代では様々なニーズによって多くの職業が存在する。世の中で必要とされることに合わせて、自分で自分の価値を作れる人材が求められていく上で、この「百姓」という言葉の意味が重要になっていくと感じた。
「地球を森で埋め尽くそう」
パーマカルチャーとは方法や手段であって、目的は「地球を森で埋め尽くす」こと。
自然を豊かにし(多様性・生産性)、人間の生活の質(精神的な充実感)をも豊かにするパーマカルチャー。その源が「森」なのだ。森には全てが詰まっているということかな。
パーマカルチャーが扱う範囲は、農業分野から始まり、林業、建築、エネルギー分野にまで及ぶ。現在では、人のつながりを取り戻すことによって、様々な環境と社会の問題を解決していくためのコニュニティ作りもおこなわれている。いわば人間の生活全体をカバーするデザインシステムだ。
生産と自己表現の場
そして、パーマカルチャーの「生産と自己表現の場でもある」というところが印象に残っている。自分が理想とするもの(生き方)を表現する場である。自分はこういう人間だと自信を持ち、個性を生かしてそれが作品となる。現代は、あまりにも自分の「理想」が見えにくくなっている気がする。みんな、もっと理想を追い求めよう!単純にそう思った。